井手久美子は、父・旧公爵徳川慶久(徳川幕府第十五代将軍徳川慶喜第七男子)、母・実枝子(有栖川宮威仁親王の王女)の第四女子として東京都小石川区(現・東京都文京区)にて誕生しました。
長女はすでに夭逝、次女の喜久子、三女の喜佐子、四女として、久美子が生誕し、ご一家の歓びもひとしおで、徳川慶久の「久」を一文字取り久美子と命名されました。
久美子は敷地1町四方、建物は1200坪の本邸を含め3000余坪の広大な公爵邸に表30 人・奥10人程の人々が仕えられ、躾を厳しく養育された。また、久美子には侍女2人家庭教師1人が付いていた。一人一人別の部屋を持ちその部屋をお方と呼んでいた。食事は特別のことが無い限り夫々のお方で侍女の給仕でなされてました。
昭和4年(1929)学習院幼稚園に入学され、幼稚・前期・中期・後期と学習院にて就学し、昭和16年(1941)学習院を卒業されました。青山の女子学習院(現、秩父宮ラグビー競技場)への登下校は、給仕が車にて送迎しておりました。当時は自動車が大変珍しく、皇族や一部の貴族のみ所有することは困難で、良家の富裕さが伝わります。

